10/5〜10/11のサンフレッチェ日記


<97.10.11> 昨日、オフ入り前の練習を終えた後トムソン監督は、「1週間目は完全休養を取り、2週目からは徐々に体を作れ」と指示したそうです。2月(1月末だったかな?)の始動からこれまでほとんど休みなしにやってきた選手達にはいい秋休みになりそう。特に怪我を押してやってきた選手には、身体の再チェックが必要かも知れません。天皇杯には上村、久保、ポポビッチなども復帰して全選手が揃って、今年一度も無かったベストメンバーでのゲームが見れるといいのですが。


<97.10.10> ジュニアユースのセレクションが、12月21日9時から広島県総合グラウンド、広島スタジアム、及び補助グラウンドで行われます。対象は現小学6年生で、練習グラウンド(府中町)に自宅から通えることが条件。実技テスト、技術、運動能力テストと面接によって選考されます。応募方法は、現金書留にて参加料3000円、応募者の住所、氏名を記した返信用葉書、申込書(A4の用紙に氏名、〒番号、住所、電話番号、生年月日(西暦)、学校名、身長、体重、利き足、ポジション、在籍チーム、サッカー歴(代表、選抜経験の有無)、保護者名、捺印)を、〒730 広島市中区中町8-18 広島クリスタルプラザ4F サンフレッチェ広島ユースセレクション係まで11月28日までにお送りください。お問い合わせは082-247-3255山西さん、神田さんまで。


<97.10.9> チームの当分のスケジュールですが、明日10時半より鯛尾グラウンドで練習をすると、トップ、サテライトともに11/2までお休みとなります。今季限りで欧州に移籍する予定の盧選手は、韓国代表に合流する予定。高木、路木選手など代表に召集される可能性のある選手は、どうするんでしょう?


<97.10.9> 森保選手、高木選手が、それぞれセレッソ戦と神戸戦でリーグ通算150試合出場を果たしました。両選手ともは1993年1st staage第1節の市原戦が初出場。森保選手は1993年35試合、1994年40試合、1995年25試合、1996年26試合、1997年26試合と出場を重ねてきて通算13ゴール。一方高木選手は、1993年29試合、1994年42試合、1995年24試合、1996年30試合、1997年26試合の出場で53ゴールを上げています。


<97.10.8> 今日まで出張でネットワークにアクセスできなかったため毎日の更新ができませんでしたが、今日からまた再開します。
4日のセカンドステージ最終戦の三ツ沢での横浜フリューゲルスとの対戦は、順位が11位から14位までの可能性のある(来年の1、2部振り分けに向けて)大事なゲーム。サンフは前節で左膝内側を痛めた森保を外し、GKに下田、DFに桑原、小島、吉田を入れ、クルークのワンボランチ、笛と路木の両WB、山根と盧を攻撃的MFにして高木とアーノルドのツートップの布陣。前半はこの布陣が機能せず、クルークとアーノルドのシュート2本ずつに抑え込まれます。対するフリューゲルスも決してすばらしい出来、とは言えないまでもサンパイオを中心に攻勢をかけ、37分にはゴールラインまで切り込んだ三浦淳宏がマイナスのセンタリングを上げ、これに合わせたフェルナンドに決められ先制を許します。後半は山根に代えて服部を入れバランスの修正を図りますが10分にバウベルに右サイドをドリブルで突破され痛い2点目を許してしまいました。しかし、ここからのサンフは意地を見せます。クルークを攻撃的MFの位置に入れ、更に盧に代えて大木を投入してから流れが変わり、攻め込みます。そんな中でまず後半27分、クルークが正面からのFKを決め1点差に詰め寄ると、その後も怒涛の攻めを見せ、高木が3度の決定的シュートを放ち、更にアーノルドのボレー、大木のヘッドなど何度もフリエゴールの迫りますがどうしてもゴールネットを揺らすことができません。結局そのままタイムアップ、となり、今季13試合目の1点差での敗戦で順位は結局13位。不完全燃焼、と言う感じの残る、今年のリーグ戦の終了となりました。


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