1/1〜1/8のサンフレッチェ日記



<00.1.8> 今週の「サッカーマガジン」でも触れられていますが、天皇杯4回戦の広島×福岡の観衆が511人だった、と言うのは今更ながら問題にすべきだと思います。あのゲーム、一般のファンにとって他の7カードに比べて魅力が落ちる点があった、と言えるかも知れませんが、しかし問題の本質はそんなところでは無いでしょう。そもそも会場は名古屋の「準ホーム」である岐阜市。その上すぐそばの瑞穂では名古屋が試合をしている。例えて言えば広島でサンフレッチェのゲームをしている時に福山で市原×神戸をやっているようなもので、普段Jリーグに関心を持っているファンのほとんどが瑞穂に行ってしまうのは当然でしょう。ではどうしてそう言う事になるのか、と言うと、各都道府県のサッカー協会がゲームを主催する天皇杯のありかた、そして11月末からほぼ1ヶ月ちょっとで全てのゲームをこなしてしまうと言うシステムが悪い、と言わざるを得ないと思います。天皇杯の会場をどういうレベルで決定しているのかは知りませんが、今でも1回戦は県代表の地元、J1クラブの初戦となる3回戦はそれぞれのホームで行われることが多いところを見ると「なるべくその地方に関係のあるところに」と考えている様子は分かります。しかし、4回戦となるとめちゃくちゃ。瑞穂や駒場のようにJ1クラブのホームで行うところがある一方で、川崎ダービーは丸亀、マリノス×ガンバが鳥取など縁もゆかりもないところの開催となっています。「普段Jリーグが見れない地方でゲームを開催するのが天皇杯の良いところ」とする説もありますが、しかし丸亀も鳥取もいずれも昨季、リーグやナビスコ杯の公式戦(それも、いずれも広島絡み)が行われている事を考えると説得力はありません。広島対福岡も、少なくとも長良川ではなく丸亀か鳥取、あるいは愛媛や長崎(要するに瑞穂、駒場、長良川以外のどこか)で行われれば10倍は観客が入ったのに、と思うのは私だけでしょうか。サッカーがプロであるからには運営側もそれにふさわしいものが求められるのも当然ですから、こう言う会場の割り振りをした人間は責任を取るべきでしょう。(責任を取った、と言う話を知っている人がいたら教えて下さい。)因みに日本サッカー協会は「来年の80回大会に向けてのアイディア」と言うことで意見を募集しています。(〆切は1/31。)少なくとも今後こう言う事のないよう、例えば4回戦の会場をどこにするかだけを決めておいて、どのカードをそこに持って行くかは対戦チームが決まってから決定する、とかの方法を取るべきだ、等の私なりの意見を出しておこうかな、と思っています。
そして根本的には、やはりせっかくの歴史と権威のある大会を今後とも盛り上げていくためには、もう少しやり方を考えるべきでしょう。大住良之さんが「フットボールの真実」で詳しく述べていますのでぜひそちらを参照して頂きたいのですが、そこで提案されているやり方は一考に値します。とりわけ上位カテゴリーのチームと下位カテゴリーのチームが対戦するときには必ず下位カテゴリーのホームで対戦する、と言うところ。この方法は実は「ドイツカップ」では既に行われている方法で、私が2年前に滞在したときにアマチュアチームがブンデスリーガ1部のクラブをホームに迎えて非常に盛り上がっていましたし、また今回の天皇杯でも1回戦で県の代表がJ2クラブを迎えるパターンの対戦ではいずれも数千人の観客を集めていました。サッカー協会では2002年のJリーグの秋〜春シーズンへの移行に伴って天皇杯も決勝を5〜6月にする、と言う案を検討しているそうですが、せっかくの素晴らしい雰囲気の元での元日の決勝と言うパターンが定着しているわけですから、それを残したままでよりよく改革して欲しい、と思います。

<00.1.7> 昨日川崎フロンターレは、森山泰行選手の獲得を発表したとのことです。森山はサンフレッチェからも正式移籍のオファーを受けていましたが、2002年W杯のピッチに立つ事を考えて一番良いように、と熟慮の結果の選択だったのでしょう。スロベニアのクラブからブラジルのクラブを経て久しぶりにJリーグのピッチに立ったのが昨年の8/28。途中出場していきなりVゴールを決めるという鮮烈なデビューを飾り、その後も何度か「これぞストライカー」と言う動きを見せてくれました。しかし怪我が多かったこと、また高橋と似たようなタイプだったこともあって10節のセレッソ戦以降ゴールに恵まれず、リーグ戦終盤から天皇杯にかけては出場機会にも恵まれませんでした。サンフレッチェのFW陣は23歳の久保が最年長、と非常に若いため森山のような経験豊富な選手がいることはそれだけでも価値のあることだったと思うのですが、森山選手自身にとっては10歳も年下の後輩とポジションを争わなければならないこと、新外国人の獲得が秒読み段階にあったことを考えると、他チームに新天地を探した方がよい、と考えざるを得なかったのだろうかと思います。プレーだけでなくそのハート、スピリットに「プロ根性」を見せてくれた森山選手には、フロンターレで頑張って、そして今度は「嫌らしい相手」としてやって来てほしい、と思います。(そしてその時には、精一杯のブーイングで迎えてあげましょうか。^_^;)

<00.1.6> 今年の高校選手権は、例年になくたくさんの高校サッカーの「スター選手」が広島入りするためサンフのファンにとっても注目されていると思います。中山のいる多々良、山形のいる東福岡はいずれも2戦目で敗退してしまいましたが、松下の前橋育英は2年連続で準決勝進出を果たしました。私は山陽が0-5で敗れた2回戦しか見ていないのですが、この松下については噂通りの良い選手であることが確認できたように思います。前橋育英はU-18代表候補が5人もいるだけでなく、11人全員の個人的な技術とフィジカルがしっかりしていて山陽としては非常に苦しいゲームだったわけですが、松下はその中でもひときわ目立つ活躍ぶりでした。特に素晴らしいのがそのキック。先制点を決めたFKだけでなく、すべてのFK、CKを蹴ってその鋭い球筋を披露。速く、鋭く曲がるボールは高校生ばなれしたものでした。またそのがっちりした体つきも、他のどの選手よりも目立っていました。ゲームではほとんど中盤の真ん中に指揮官然として位置して周りの選手を動かす、と言ういかにもキャプテンマークが似合う選手で、その風貌は「森保の後継者」と言うよりも「フィールドの前川」と言う感じでした。守備能力やポジショニングについてはテレビの画面では確認できなかったのが残念だったのですが、スライディングタックルで相手ボールを奪って味方に渡したのが2点目に繋がったことから見ても「ここぞ」と言う所の判断は優れたものを持っていそうです。ただ、(これは他のゲームを見た人の印象とも一致するのですが)スピードと運動量の点ではいささか物足りないものを感じました。これは前橋育英の戦術とも関係するので一概には言えませんし、プロ選手と比べるのもどうかと思うのですが、例えば桑原が良く見せるようにフリーの選手に遠くから物凄いスピードで身体を寄せてボールをカットしてしまう、とか、あるいは前線で詰まってこぼれたボールに後から飛び込んでシュート、とか言うシーンは見られませんでした。同年代の選手の中では「指揮官」をせざるを得ない立場だからこそ、そういう「動かない」事を求められているのかも知れませんが、プロ入りすれば一番若い選手として走り回ってベテランのサポートをしなければならない場面も増えるでしょう。そうした時にどれだけ動けるかと言う事が、早い段階でトップ出場を果たせるかどうかのカギとなるかも知れません。明日はここに来て強さを見せつつある市立船橋との対戦。これを相手に前橋育英が、松下がどのように戦うか、注目したいと思います。

<00.1.5> Jリーグは2000年シーズンの開催日程を発表しました。それによると3/4(土)に磐田×名古屋でスーパーカップを行った翌週(3/11)に1st stageが開幕し、5/27(土)まで12週で15節を戦います。従って4/5の第5節、5/3の第10節、5/17の第13節が水曜日開催となります。2nd stageは代表の強化日程に伴う1ヶ月のブレイクを経て6/24開幕。第6節(7/26)の水曜開催を挟んで8/19まで毎週土曜日にゲームを行い第10節まで消化します。そしてその後、シドニー五輪、アジアカップのためリーグを休んで再開は11/8(水)。この後11/11, 18, 23, 26とほぼ4日に1試合の強行日程で2nd stageを終了させることになっています。またこの他ナビスコ杯は原則水曜日開催で、4/12,19に1回戦、7/5,12に2回戦、8/30, 9/6に準々決勝、10/11, 18に準決勝を行い、11/3が決勝となっています。従って日程の傾向としては1999年シーズンとほぼ同じなのですが、しかし問題は2nd stageの第10節と第11節の間の2ヶ月半にも及ぶ中断ではないでしょうか。昨年も五輪予選に伴う中断はありましたが、予選の無い週にゲームを入れた事もあって実質的な中断は1ヶ月ほど。広島は豪雨による再試合もあってもっと少ないブレイクで済みました。これぐらいの中断なら、疲れたり怪我をした身体を休め、チーム練習をして戦術の熟成を図る、と言う程度の時間の使い方ができ、選手やチームにとってもプラスの面が多かったかも知れません。しかし2ヶ月半、と言うとシーズン終了後のお休み並の長さになるわけで、この間中コンディションを維持する、と言うのはそもそも無理。代表に選ばれていない選手はいったん長めの「夏休み」を取って、徐々にコンディションを上げていくことにせざるを得ません。これも代表とは関係の無い選手なら良いのですが、最初は選ばれていなかったが候補の一人である、と言う立場の選手にとっては大変です。いつ呼ばれても良いように、コンディションもモティベーションも落とさずにこのオフを過ごさないといけなくなります。またチームに取っても大変なのは一緒です。昨年などを見ても15試合で優勝を争うシステムでは1ステージに3敗までが限度で、それを越えてしまうと優勝の可能性はほとんど無くなります。またJ2降格を逃れるためには勝ち点30前後がボーダーラインとなるため、そこまでの25試合(1st stageから通算で)で10勝程度していればJ2落ちもありません。従ってリーグ中位チーム(5〜6チームぐらい?)は「優勝は無理、でもJ2落ちもない」と言う宙ぶらりんの状態で2ヶ月半も過ごすことになるわけで、選手も首脳陣も一体どのようにチーム作りをして行けば良いのか分からなくなるのではないでしょうか。まあ、Jリーグもこの程度の不備は十分分かった上で作っているはずなのでこれ以上は何も言いませんが、しかしまさにこの「中位チーム」に絡みそうなサンフレッチェにとってはひと事では無いわけですし、この間の調整を考えるとナビスコ杯に勝ち残る、と言う事が例年以上に重要な事になりそうな気がします。なお、昨年のナビスコ杯の組み合わせからサンフの相手を予想すると、1回戦の相手は山形、2回戦は昨年同様横浜になりそう(これはあくまで「予想」です。実際には日程以外まだ何も決まっていません)ですし、昨年の「リベンジ」と行きたいところです。

<00.1.3,4> 突然ではありますが、1/3と1/4の分は事情で「年始合併号」と言うことに(^_^;)させて下さい。よろしくお願いします。
この天皇杯、トムソン監督は勝ち進んで、かつ若手に経験を積ませることを目標としていました。(広島フットボールによる。)普通、勝ち進むことと若手を育てることは二律背反する事象。例えば天皇杯優勝の名古屋はU-22代表の福田もサブとしてしか使われず、小倉はついに海外移籍を選択。勝ち続ける一方でわずかに古賀正紘が育ちつつあるだけの状況です。また98年シーズンまで最強を誇った鹿島は、怪我人の続出による急速な若手への切り替えが上手く行かず99年シーズンは一時はJ2落ちを争うほどに低迷してしまいました。更に有望な若手選手を多数擁する市原は「勝つ」と言う点でなかなか結果を出せず、2年連続でJ2落ちの恐怖と戦わなければならないはめに陥りました。従ってトムソン監督が「勝ち進むこと」と「若手育成」を唱えたとき、私はてっきり若手を使わざるを得ない言い訳か、と勘ぐったものです。少なくとも森崎和だけでなく森崎浩や駒野など、来季に期待できる選手をとっかえひっかえ使ってくるだろう、と思っていました。しかし、監督の選択は違いました。強引に若手を使う、と言うような事は一切せずに、レギュラーが欠けたポジションに無理無く若手を当てはめ、森崎和、大久保、川島と3人も「戦力」としてしまいました。そしてその力によって、日本最古のカップ戦にファイナリストとなる栄誉を勝ち取りました。
しかし彼ら3人にも増して成長したのが、(昨日も書きましたが)高橋と藤本だったと言うのが私の意見です。高橋は高卒新人ながらリーグ戦で6ゴールをあげる等、望外の活躍をした選手。しかしそのゴールはいずれも久保とツートップを組んだときのことで、久保がリタイアした後はこれと言った結果を残せていませんでした。とりわけ同じようなタイプの森山が加入したという事もあり、チームの中でどう動くべきか、どうやったら結果が出るのかずいぶん悩んでいたのではないでしょうか。ところがトムソン監督はこの天皇杯、最初の本田戦を除いたすべてのゲームを高橋のワントップでスタートしました。それもはじめのうちは森山をサブに入れていたのに、準決勝からはFW登録の選手自体高橋しか入れない、と言う賭け。これがどういう結果を生んだか、と言うのはサンフレッチェファンなら誰でも知っているとおりで、高橋は最も重要だったエスパルス戦、ヴェルディ戦にゴールを決め、勝利に貢献するという大活躍。「悩み」もすっかり吹っ切って、FWとして独り立ちできました。この裏には、来年いなくなる森山、大木はもういないものとして扱うことにより、高橋の「一人前」としての自覚を促すような指導をした「トムソン先生」の深謀遠慮を感じます。この点では藤本も同様。福岡戦までは森山、山口と言ったベテランと組ませて攻撃を組み立てさせたのを清水戦から一変させ、藤本(と高橋)に攻撃面での全権を与えてゴールの山を築きました。この藤本、シーズン当初は山口のサブ。吉田康のポジションであったリンクマンの役割をしたこともありましたし、五輪予選では左WBも経験しました。更に小野の獲得の話が出て藤本の立場も再び微妙になる、と言うように、この1年常に競争にさらされていました。が、この天皇杯の後半は違いました。藤本こそがサンフの攻めの中心。攻撃は全て藤本が絡んで展開した、と言っても過言では無い活躍でした。トムソン監督はリーグ戦の間から藤本を信頼している、と言う様子を見せてはいましたが、ここまで大きな責任を与え、それを十分に果たさせたのはやはり彼の「教育者」としての力を示している、と言えるのではないでしょうか。若手にチャンスを与えることは、ある意味簡単です。ポジションを渡してプレーさせればよい。しかし、それがその選手にプラスになるかどうか、成長のきっかけになるかどうか、は分からない。そのポジションでプレーすることにより、ある程度の結果を残し、そして自信をつけなければ意味は半減。むしろ上手く行かなくて自信を失ってしまうことの方が多いものです。しかしトムソン監督は、この天皇杯で高橋、藤本を最高のタイミングで最高のポジションで使うことにより、勝つ、と言う結果と同時にそれに伴う自信も与えることができました。つまり、トムソン監督の勝利とともに育成を、と言う目標は、高橋、藤本の二人においてこそ達せられた、と言って良いように思うのです。
ここに挙げた高橋、藤本、森崎和、大久保、川島だけでなく、服部と古賀もまた、サンフの左サイドの新しい可能性を見せるなど、こちらも勝つことによってなおのこと大きなものを得ることができました。おそらく沢田の代役として活躍したベテラン伊藤ですら同じ事が言えるのではないでしょうか。すなわちトムソン監督にとっては、勝つことと育てることは決して二律背反ではなく、むしろ勝つことによってこそ育てることができる、と言う事だったのではないか、とも思えます。(結果論なのかも知れませんが。)ここで準優勝したサンフレッチェのメンバーは、来季こそ優勝を、と言う強いモティベーションを得てシーズンを終わることができました。それだけでなく、この戦いに参加できなかった久保と森保も自分が出られなかった悔しさとともに同じ思いを共有しているでしょうし、また川島に続く若手、森崎和に続くU-18の面々もまた同様でしょう。この2000年のシーズンは、これら戦う気持ちとタイトルへの欲求にあふれた男たちのポジション争いからスタートすることになります。そしてそのことによってこそ、今季こそ優勝を、と目標を掲げてシーズンを戦うことができるのではないでしょうか。

<00.1.2> 素晴らしい好天に恵まれた東京・国立霞ヶ丘競技場に47,122人の大観衆を集めて行われた天皇杯全日本サッカー選手権決勝戦は2-0でグランパスが勝ち、サンフレッチェは準優勝に終わりました。サンフレッチェのメンバーは、フォックスは復帰できたものの沢田が不在で次のような感じでした。
           下田
       
   フォックス ポポヴィッチ 上村
 伊藤                   古賀
           桑原
     森崎和         服部
           藤本

           高橋

SUB:前川、川島、吉田康、大久保、山口
守備はスリーバックの横のスペースを伊藤、古賀の両WBが埋めて4バックとも5バックともなる布陣。守備に重点を置いたものながら絶妙なラインコントロールと厳しいマーキングで引きすぎず、上がりすぎずで名古屋の攻撃を抑え込みます。特に名古屋の攻撃のキーである平野、望月の両翼にはほとんどサイド突破を許さず、呂比須にも自由にさせません。またストイコビッチには中盤に下がったときにはボールを持たせるもののペナルティエリアに近づくに従って急速に網を絞って決定的な仕事をさせない、と言う守備。更に、中盤とトップの高橋は臨機応変に激しくポジションチェンジを繰り返して名古屋の守備陣と対峙し、何度も中盤でのパスカットでチャンスに結びつけようとします。この一戦に賭けるサンフの首脳陣と選手達が、名古屋の戦い方を良く研究して来たことが良く分かる戦い方で、前半は互角以上の展開でした。しかし、相手を良く研究していた、と言う点では名古屋も同じ。広島が得意とする手数の少ないスピードに乗った攻撃を警戒して、最終ラインでの数的優位は決して失わないような守り方を徹底します。とりわけ藤本や高橋がボールを持つとあっと言う間に二人、三人が集まって来て、なかなか自由にプレーさせてもらえません。得意のセットプレー、特にCKの守り方も万全で、ハイボールはほとんど楢崎の手の中に収まってしまいます。前半30分ぐらいのFKからの上村の突破を後から突き飛ばされた場面でPKを取ってもらえなかったという不運もあり、前半はお互い互角のまま無得点で終わりました。
ハーフタイムにピッチで練習する選手がずいぶん少ないな、と思って見ていたら、後半からポポヴィッチ、森崎和に代わって川島、大久保を投入します。スタジアムで見ているときには理由が分からなかったのですが、どうやらポポヴィッチは足を、森崎和は腰を痛めたらしく、これで広島のゲームプランと流れが変わってしまいます。逆に名古屋は前半にも増して激しいプレッシャーと藤本、高橋への厳しいマークで攻勢に出ます。特に、何度も広島のお株を奪うかのようなカウンターで広島のゴールに迫ります。そして後半11分、ついに一つのミスが得点に結びつけられてしまいます。ウリダからのパスが右サイドに開いたストイコビッチに向かって飛んだ時、古賀がすかさずコースに入ってカットしようとしますが、しかしなぜか届かず失敗。ピクシーは冷静にキープするチャンスを得ます。この選手にゴール付近で時間を与えてしまうと決定的な仕事をするのは当然、と言えば当然。鋭く振り抜かれた右足から放たれたボールは、低い弾道でニアポストへ。そしてそこにカバーに入った上村の前に一瞬早く飛び込んだのが呂比須でした。ボールはそのスキンヘッドに当たって、ゴールネットに飛び込みました。まさにピクシーと呂比須の卓越した技術が生んだゴールで、古賀のミスがきっかけとは言えサンフの守備陣を責めるのは酷、と言える失点でした。
この1点でつかえが取れたように、名古屋の選手が伸び伸びとプレーし始めます。逆に広島の選手は精神的に厳しくなって、なかなか効果的な攻撃を構築できません。何度かゴール前に攻め込んでCKやロングスローのチャンスを得ますが、いずれも同じパターンの攻めに終始してシュートまでも至ることができません。「上がれ、上がれ」と指示を繰り返すトムソン監督。疲れが目立つ高橋に代えて山口敏弘を投入し、藤本、大久保のツートップで攻めようとしますが、しかし本来FWでない選手に前線での起点になれ、と言うのは至難の技。持ち味である「2列目」(1列目がいない中で、ですが)からのドリブル突破を図ろうとしてもあっと言う間に取り囲まれてしまいます。逆に名古屋はボールを奪った後の素早い展開から広島の浅いラインの裏を狙います。その攻撃がついに結実してしまったのが後半37分でした。トーレスから出たパスはオフサイドにも見えましたが、しかし副審は旗を上げず。フリーで抜け出したピクシーがペナルティエリアに侵入します。キープしようと飛ぶ下田。しかしストイコビッチはこれを嘲笑うようにフェイントをかけながら右サイドに流れ、カバーに入ったDFの選手もかわして鋭いシュートをサンフのゴールネットに突き刺しました。2点差を付けられて後がなくなったサンフ。攻撃の糸口も見えず、苦しさは一層増してしまいますが、しかし集中は最後まで切らさずに攻め、そして守ります。しかし、残念ながら一矢も報いることができずにそのままタイムアップ。ある選手はその場で倒れ込み、また藤本などはずっとウィンドブレーカーも着ずに呆然と立ちつくすと言う、悔しい、本当に悔しい敗戦となってしまいました。
結局のところサンフレッチェはこの大一番に、これまでの戦い方を変えずに正面からグランパスに対する事を選択し、そして最後には力の差を見せられて敗れました。このゲームの0-2と言う結果は、そのままグランパスとサンフレッチェの力の差の表れだった、と言っても仕方のないことでしょう。しかし、その「差」とは何だったか。サッカーの質と完成度の差ではもちろん無かったし、一人一人の選手が全て劣っていたわけでも無く、単にピクシーがいたか、いなかったかの差では無かったか。更に言えば完全にベストメンバーの名古屋に対し、久保も、森保も、沢田もいない、外国人選手枠も一人余らせていて、その上先発の選手を途中で二人も同時に欠いてしまった広島との差だった、と言っても決して「負け惜しみ」とは言えないだろうと思います。そもそもこの天皇杯、メンバーが揃わずリーグ戦の終盤では負け続けたサンフにとって、苦しいことは分かっている戦いでした。しかし、そんな中で穴を埋めた選手達が本当に良くがんばったし、また大きく成長しました。特にワントップとして相手DFの一番良い選手のマークを受け続けた高橋は、一番欲しかったゴールという結果を得、FWとして何が必要か、を学ぶことができました(と、思います。)また攻撃の全権を任せられ「指揮官」として戦った藤本は、まるで弱小ペールジャを一人で支えた中田英寿のように奮闘し、成長してきました。更に現役高校生の森崎和幸。2ヶ月前には単にユースの中心選手でしか無かったこの選手は、今やすっかりトップチームの中にあっても遜色のない存在となり、その類まれなサッカーセンスを披露し続けました。彼の活躍は、ユースで同期の森崎浩司、駒野だけでなく、来年入ってくる「スーパーセブン」(これは「広島フットボール」の中野さんの命名です)の面々にも大きな刺激となったのでは無いでしょうか。彼らが、この天皇杯決勝という素晴らしい舞台(いや、本当に雰囲気は最高でした。私は今回初めて生で見たのですが、あんなに素晴らしいものだとは知らなかった)に出ることができたこと、その中で自分達の力を存分に発揮したことは大きな財産です。ある意味では、これで頂点に立つことができなかったこと、敗れたことによる悔しさを胸に秘めて広島に帰ることになったこと自体が、大きな財産として残った、と言っても良いのではないかと思います。先日の「Diary」で私は「がっかりさせないで」とある意味傲慢なことを書いてしまいましたが、今回のサンフの戦い方は十分に期待に応えた、胸を張れるものでした。少なくとも数年前のようなしぼみかけの風船のようなチームではなく、これから良いチームとなるような若木のようなチームがサンフレッチェというものなんだ、と言う事を全国のサッカーファンに見せることはできたと思います。この戦いによって、今度はサンフレッチェは警戒されるべきチーム、と言う事になったことでしょう。J1各チームからのマークが厳しくなることは間違いないでしょう。その上チーム内の競争が激化することも間違いない。この決勝は、今のサンフにとっては「終わり」ではなく「始まり」です。この2000年に向けての新しいスタートが昨日切られた、と言って良いのではないでしょうか。

<00.1.1> アクセスして下さっている皆様、明けましておめでとうございます。新しいミレニアム、2000年が今日から始まります。しかしその一方で、サンフレッチェとしては天皇杯の決勝を戦って、1999年シーズンを締めくくる最後のゲームの日でもあります。この天皇杯、初戦の本田技研戦は試合勘が今一つ。先制しながら逆転を許し、ロスタイムで振り切る苦難のゲームでした。4回戦の福岡戦も支配しながらなかなか勝ち越せない苦しい展開の末の勝利。準々決勝の強敵清水にはゲームプラン通りの勝利を収め、準決勝は早い段階でリードを許したゲームを若い力でひっくり返しました。まるで夏の甲子園を戦う高校生のように一戦一戦苦しみながら成長してきた広島の選手達が、その最後の総決算として臨む相手が「無冠の王者」名古屋。個々の選手のこれまでの経験と実績では遥かに上を行くチームですが、広島のここまで来た勢いを思い切りぶつけて、勝利を勝ち取ってほしいと思います。先日のDiaryで私は「既に当初の目標は達成してしまったわけで、決勝戦はある意味ではおまけ」と書きましたが、選手達の意識はそんなものではなく最初から優勝を狙っていたそうです。(広島フットボールの藤本インタビューより。)考えてみれば1999年は「一つでもいいからタイトルを取りたい」と言っていたわけで、そういう意味では「優勝を狙っていた」のも当然です。(と言うことで、どうもすみません>選手の方々。)勝負を生業とするプロ選手として、その意気や良し。上村選手によれば、何となく決勝に進んでしまった前回、前々回の決勝とは雰囲気からして違うそうですし、そういうところを是非とも見せてほしい、そして2000年を新しい日本サッカーの、広島サッカーの夜明けの年として飾る、皆が納得するような素晴らしい優勝を飾ってほしい、と思います。

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