1/1〜1/6のサンフレッチェ日記



<01.1.6> 昨日の中国新聞によると、4日までにポポヴィッチ、コリカの2人との契約が完了したとのことです。ポポヴィッチとは6月末までの半年契約。コリカとは2002年1月までの1年契約。2人ともトムソン元監督の「オーストラリアコネクション」で連れてきた選手でしたが、ヴァレリー監督のサンフレッチェにとってもたぶん貴重な戦力のはず。おそらくポポヴィッチは6月末には欧州への移籍を目指すのだろうと思いますが、それまではDFラインの中心として頑張ってほしいものです。またコリカも昨年の再開以降に見せてくれた力を年間を通して見せてほしいと思います。
<01.1.4> 明日は時間的余裕がない(ついでにネタも無い^_^;)ので、たぶんお休みさせて頂きます。
<01.1.4> 私がこの正月に読んだ本、ジョナサン・バーチャル(Jonathan Birchall)の「ウルトラ ニッポン」(無名舎 ISBN4-89585-938-X)はお勧めです。著者は1958年生まれのイギリス人で、1988年からBBCの東京特派員として日本に滞在。現在「ファイナンシャル・タイムス」の記者として国際問題を中心に活躍するジャーナリストです。従ってこの本は、サッカーシーンを媒介にして日本の社会を切り取っているとも言うべきもの。帯で川淵チェアマンが「2002年をどうするのか。現在の問題点と未来への提案があり、日本と日本人を知るには絶好の書だ。サッカーを通じてこれだけ鋭く、日本の現在と未来を語ってくれた著者に感謝したい」と推薦文を書いていますが、まさにその通りの本。イギリス人ジャーナリストが日本人と日本のサッカーをどう見たかが良く分かる、優れたルポルタージュになっていると思います。
ただ、このように書くとなんだか堅苦しい本のように思うかも知れませんが、実際には非常に軽妙な文章が展開されていて一気に読める本になっています。著者は主な取材対象として「サッカーの町」清水とその市民、及びエスパルスのサポーターを選んでいるのですが、彼らと接して共にJリーグのゲームを観戦するうちに、どんどんエスパルスに心をのめり込ませていきます。そして最後には「ノボリのTシャツ」を身につけてサンバ隊の中心でサポーターと一緒に踊り、宿敵である「邪悪なジュビロ磐田」を倒すべく声を嗄らすようになります。もともとロンドン郊外の生まれで少年時代はウエストハム・ユナイテッドのサポーターだったと言う血が、彼に「客観的な取材者」としての仮面を捨てさせたのかも知れません。日本にサッカーを語る本はあまたありますが、そのほとんどはサッカーの戦術論や戦略論、あるいは選手の個人にスポットライトを当てたもの。しかしこの「ウルトラ ニッポン」は、日本のサッカーのもう一つの主人公であるサポーターに切り込み、その姿を時には客観的に、時には愛情を込めて描くことで日本のサッカーと社会、文化の状況を活写した優れた「読み物」となっているように思います。
更に彼は、イギリス人であると言う立場から同国人やヨーロッパ出身のJリーグ関係者を精力的に取材しています。そしてその中には当然スコットランド生まれのトムソン監督も含まれていて、彼の「本音」をうかがうことができます。
「『2時間の練習中、彼らは練習をしないんだ』とトムソンは練習後、更衣室で僕に語った。『それなのに、日本代表は人一倍練習すると言うところを見せるために居残るんだ...チームスピリットというものが存在しなかったんだ』と、当時を思い起こすだけで、ちょっと興奮気味にトムソンが言った。『高木には...若い子分グループがいた。路木にも、森保にもそうした取り巻きがいたんだ』そんな状況は、つましく努力家のスコットランド人には気に入らなかったにちがいない。」
「サンフレッチェ広島の練習で、エディ・トムソン監督は土曜日の試合のビデオを見せて、その試合で犯した致命的なミスを指摘し、次の試合でどうするか指示していた。練習の最後に、彼はかならず質問を求めるが、だれひとり質問をする選手はいない。『チームに加わった若い選手達は、無口で、統制されている。彼らは決して質問をしないし、理由をきかない。更に、他の選手と話すこともしない』...『最大の問題点は、いかにして選手たちに考えさせるかということだ』最後にトムソン監督は明確に分析した。」
などなど。この他にも今西総監督も登場しますし、スコットランド人レフリーのレスリー・モットラム氏や札幌の岡田監督、更にはキャプテン翼まで登場して日本のサッカーをいろいろな側面から語っています。著者自身も語っているように、全体的に善悪二分論的な「西洋的概念」で貫かれていてかなり一方的な見方をしているようにも思えますが、しかしそこがこの本のひとつの大きな魅力でもある、と思います。更に広島のサポーターにとっては、清水サポがどのように自分達を組織してきたかと言う点で参考にもなるかも知れません。Jリーグのオフ中の寂しさの埋め合わせに、ぜひとも御一読を。
<01.1.3> 年末の12/29発売の「紫熊倶楽部」Vol.24は、「破壊と創造」と題してトムソン監督の4年間を総括しています。就任時に「ボールをキープし続けるサッカーがしたい。点がたくさん取れるサッカーがしたい」と理想を語りながら、現実にはロングボールの放り込みとセットプレーで点を奪い、1点を守り切る守備的なサッカーをせざるを得なかった、その理由はどこにあるのか。この誰でも抱くであろう疑問を、まず94年1st stageの「早すぎた優勝」から説き起こしています。まだ十分に戦力が整っていなかったにも関わらず、いろいろな幸運に恵まれて達成した優勝。本来ならそこを出発点としてチーム力を整備していかなければ無かったのに、選手もサポーターも一つの「終着点」のように思ってしまったのがそもそもの間違いだった。更にチーム力をアップするために招聘されたはずのヤンセン監督は、結局選手を掌握できずに疲れ果てるようにして退任。バクスターの「規律のサッカー」が崩壊し、ヤンセンの「ムービングサッカー」も確立できなかった、バラバラとなってしまったチームに来たのがトムソン監督でした。このチームをまず破壊し尽くすところから始め、そして徐々に戦力を整備してきた4年間。敢えてチームリーダーを置かず、独裁者として君臨したトムソン監督の功罪はどう言う所にあったのか。11ページにも及ぶ、渾身の特集です。
今回が最終回となる今岡祐子さんの「二葉寮生応援団」は、同様に二葉寮を「卒業」する高橋選手。沢田選手のコラムは新人王について。もちろん、メインは森崎和選手の事なのですが、実は沢田選手自身もかつてJFLの新人王を取ったことがあるそうで、その思い出に絡めて書いています。
後ろのカラーページは、昨年限りで退団した山口敏弘選手を取り上げています。山口選手は98年の途中から広島入りし、半年のブランクも感じさせない活躍でトムソン監督も認める「J2落ち回避の最大の功労者」でした。しかし昨年は、ほとんど出場機会が与えられなかったどころか監督から何の説明も無く、相当の苦しみを舐めました。しかし「今を一生懸命に」生きることをモットーとする彼は、その苦しい1年間も決して投げ出すことなくサテライトでプレーし、若手にアドバイスし続けました。30歳はJリーグではベテランですが、世界のサッカーから見ればまだまだやれる年齢です。記事でも山口選手の退団は「個人的には、残念で仕方がない」と書いていましたが私の思いも同じ。お勧めです。
この後のマッチ・レポートは天皇杯の2試合。そして最終ページには「紫熊短信」が来ています。「紫熊倶楽部」の新年第一号は1/19発売で、その前に増刊号「assist」が発行の予定となっています。
<01.1.2> 昨日の中国新聞朝刊のサンフレッチェ関係記事は二つ。一つは第5部のスポーツ特集で、もう一つは社会面に李漢宰選手が登場しています。
まずスポーツ特集では「サンフレが変わる」として若手選手達とヴァレリー・ニポムニシ(VALERI NIPOMNIACHTCHI)新監督を取り上げています。(ヴァレリー監督のインタビュー記事がマスコミに出るのは、もしかするとこれが初めて?)まず目指すサッカーのコンセプトは「できるだけ多くのゴールをすること」であるとして、とにかく守りに入ることなく攻撃サッカーを目指す、と強調しています。韓国では「攻撃のしすぎ」だと批判されたこともあるそうで、それを称して「ニッポムのサッカー」と言う言葉をもらったそうです。この人が見たサンフレッチェの印象は、「マイナスの印象よりもプラスの印象の方が多い。チームとしてうまくいけば、ナンバーワンになれる」。今の問題点はボールを奪った後のパスにあるとのことで、FWとDFの能力のバランスを取る事でチームのスタイルを変えるのだ、と語っています。韓国代表監督のオファーは実際にあったそうですが、その前から広島からのオファーがあったのでそちらを優先した、とのこと。今西総監督とは何年も前からの知り合いだったこと、日本に以前から興味があったことも広島と契約した理由だったそうです。韓国や中国の選手は生活の面で自分をプロとして律する、と言う点で不満があったそうで、選手のセルフコントロールを求めています。そしてサポーターに対しては「私のサッカーは、サポーターのため、スタジアムに来る人のための攻撃サッカー」であると繰り返して強調。また、今西総監督もヴァレリー監督の攻撃サッカーに関して「韓国や中国での指導ぶりから、手ごたえもある」と保証し、「チームの完成までに多少時間がかかるかもしれない」としながらも期待の言葉を語っています。
李漢宰選手の記事は、「新世紀を拓く」シリーズの第一回。「民族の誇りを胸に アジア超え世界へシュート」と言うタイトルです。全国に12ある朝鮮高校からストレートでJリーガーとなる初の選手となる李の広島入りを決定づけたのは、一つのFK。6月末に参加した紅白戦で、自ら求めて蹴った30mのFKがトップチームが守るゴールに突き刺さり、これが強烈な印象を与えることになったそうです。在日朝鮮人3世として倉敷に生まれ、倉敷初中級学校を卒業。その後、高校サッカーの名門校からの誘いもあったのですが、それを蹴って広島朝鮮高校に入ったのは「祖国の代表選手になりたいから」と言う強い意志があったから。仮契約時にもらった200万円の支度金のほとんどは、倉敷と広島の母校のボール代などに使ったそうです。「精神力だけは絶対に負けていない」と言う彼の存在は、おとなしい選手の多いサンフレッチェの雰囲気をも変える力があるかも知れません。
ところで、中国新聞1面トップでコラム「地域、元気に」が始まりましたが、ここにもちょっとだけサンフレッチェの名前が出てきます。マツダだけでなく、ユニクロの第一号店が広島だったことや100円ショップのダイソーなど「全国に通用する広島ブランドも少なくない」中で、「広島東洋カープ、サンフレッチェ広島、広島交響楽団もその一つ。プロ野球、サッカーJリーグ、プロオーケストラの3点セットすべてがそろっている都市は、ほかに東京、横浜、名古屋、大阪、福岡しかない」と言うのは広島が誇るべき特徴。カープの解散の危機を市民の力で乗り越えたように、「ピンチは最大のチャンス」と前向きに捉えて行くことが、このところ地盤沈下がささやかれる広島を活性化させる道であるとして、「各分野で活躍する人達の...提言を紹介」して行くそうです。
<01.1.1> 皆様、明けましておめでとうございます。昨年に比べて寂しい元日となりましたが、今年のサンフレッチェはすっかり若返り、成長が楽しみなチームとなりました。しかし、若いということは逆に波があるということ。今年は時には目の覚めるようなゲームをしたり、また時には目も当てられないようなゲームをしたりの繰り返しになるかも知れません。しかし、サンフレッチェは広島の誇りです。どんなことがあっても我々ファン・サポーターが暖かく、時には厳しい目で見守っていくことが必要だと思います。21世紀もまた、「SANFRECCE Diary」は根性の毎日更新(目標 ^_^;)でサンフレッチェをサポートしていきたいと思いますので、皆様今年もよろしくお願いします。
 SANFRECCE Diaryトップページに戻る