1/12〜1/18のSANFRECCE Diary


<03.1.17> サンフレッチェは昨日、応援CD"Goal&Proud"の発売を発表しました。このCDを製作したのは「サンフレッチェ広島の応援歌を作ろう!有志プロジェクト」で、県サッカー協会やNHK及び地元テレビ局、ラジオ局各社などが協力しています。内容はホームゲームで用いられるオリジナルソング(加藤健一氏による"The Road To Champ"と"The Filder")とサポーターグループによる応援コール集及び応援ソング"Hiroshima Night"で、最後のスペシャルボーナストラックには「2003年のJ1復帰を決めるホームゲームを再現」したバーチャル実況入り特別バージョンの"The Road To Champ"が収められているとのことです。全15曲入り33分06秒収録のこのオリジナルCDの発売は2/21(金)で、1/25(土)からはV-POINTとオフィシャルサイトで先行予約が開始されます。またデオデオ各店舗(広島市近郊に限る)とホームゲーム会場、V-POINTでは店頭販売が、オフィシャルサイトでは通信販売が行われます。またこの売上金の一部(10%)はサポーターの応援活動の支援(応援グッズの補充など)に用いられます。スタジアムでの応援コールや応援歌を覚えたい人はもちろん、ホームゲームの雰囲気に浸りたい人等全てのサンフレッチェサポーターには必携のグッズだと言えるでしょう。案内の文には別に「限定版」とは書いていませんが、こう言う種類のグッズは最初の製作分を売り切ったらそれでおしまいになるのが普通です。欲しい方はお早目にどうぞ。
<03.1.17> サンフレッチェは昨日、今季の新しいデザインのユニフォームを1/25に公開すると発表しました。新ユニフォーム発表公開記者会見は来週土曜日(1/25)の午後1時半から午後2時半で、場所は紙屋町地下街のシャレオ中央広場。森川専務と上村、下田、森崎和、森崎浩の4選手が出席して、広島テレビでスポーツ元気丸を担当する藤村アナウンサーによる代表質問と質疑応答、写真撮影が行われます。また記念撮影会では、抽選で32名のファンが新ユニフォームを着た選手と一緒に撮影できます。ご希望の方は午後1時から配付される抽選券(先着300名)を受け取ってください。
<03.1.16> 久保、藤本の移籍が決まり、後はリカルド獲得の正式発表と外国人枠からはみ出すトゥーリオの処遇を残して今季の陣容がほぼ固まりました。(織田部長には「隠しダマ」もあるそうですが。)そうすると、次の注目点は背番号がどうなるか、ではないでしょうか。サッカーの場合、例外はある(この前、キエーボのGKが10番を付けていて驚いた!)ものの背番号と役割は密接な関係があります。例えばアヤックスのジュニアレベルでのスクールでは、ポジションと役割、背番号の関係はかなり厳密に決められているそうです。1はもちろんGK。2は右の、5は左のDFで、中央は3が守ります。4は守備的なMF、右と左のMFはそれぞれ6と8で、トップ下の攻撃的MF(あるいは「シャドゥストライカー」)が10番。3トップは右から7、9、11の順になります。これを並べると次のようになります。
        1

        3
  2           5
        4
  6           8
        10
  7           11
        9
 サンフレッチェの場合は必ずしもこの通りにはなっておらず、例えば柳本、沢田が付けてきた3は右サイドの背番号ですし、森保、クルーク、森崎浩の7は中盤です。システムが違えばポジションも違うのは当然なのですが、しかし一応参考にはなるのではないでしょうか。
 さて、今空いている若い背番号と言うと、川島の2と久保の10、藤本の11です。トゥーリオが移籍すれば、6も空きます。Jリーグが固定背番号制になったのは97年からですが、それぞれの背番号はこれまで次の歴史を刻んできました。
【2】97ポポヴィッチ、98〜00宮沢、01〜02川島(オレグ)
【6】97〜98小島、99〜00フォックス、01奥野、02トゥーリオ
【10】97〜02久保
【11】97〜98笛、99ヴィドマー(森山)、00〜02藤本
 2はDF,それもセンターバックの選手が付けて来ました。今年もその路線を踏襲するなら、リカルドが付ける可能性が高そう。ただ、八田ら若手の将来に期待して付けさせる、と言う可能性もあります。
 6番は中盤から後ろの選手、それもサイドと言うよりはセンターの選手が付けてきています。ここはサンパイオに他の番号へのこだわりが無ければ、彼になるのが自然です。もしくはリカルドがこの番号になるか、あるいは若手の誰か(李あたり?)が抜擢されるかもしれません。
 10番はこれまで久保だけが付けてきた番号で、広島ではFWの番号と言うことになります。ただ、世間的に見れば「司令塔」タイプの攻撃的MFが付ける事が多く、ベッケンバウアーのようにリベロが付けることもあります。従って、やはりチームの中心として期待される選手が付ける可能性が高いでしょう。とすると森崎兄弟のどちらかか、あるいはサンパイオになるのではないでしょうか。
 11は、最初は笛が付けていた番号です。笛はSBでプレーすることが多かったのですが、しかし元々はFWの選手でした。藤本が11を選んだのも三浦知良選手にあこがれてのことだった、と聞いています。従って次に付ける選手もFWになると考えて間違いないでしょう。とすれば、候補者は茂木かエルツェグか大木というところでしょうか。個人的には、茂木になる可能性が高いと見ます。
 いずれにしろ、11までの背番号は首脳陣の期待が高い選手であることを意味します。これらの番号を背負った選手は、レギュラーとして活躍することが「義務」だと思って頑張って欲しいと思います。
<03.1.15> 先日の高校選手権で優勝した市立船橋の主将、大久保裕樹。決勝ではそれほど派手な活躍は無かったものの、良い選手であることは示していたと思います。ボールを扱う技術がしっかりしていてフィジカルも強く、1対1ではほとんど負けなかったと思いますし、また正確で強いキックを生かしたサイドチェンジなども見せました。プロ入りする選手が他の高校生よりレベルが高いのは当たり前なのですが、堅守で優勝を勝ち取った市立船橋の守備の中心選手だった事はとりわけ価値が高いと思います。テレビ放送の中では広島入りすることが紹介されていましたが、その理由は「サッカーに集中できる環境でやりたい」からだとのこと。U-19代表で優勝チームの中心選手ともなれば、もし首都圏のクラブ入りすればプロとしての実績の無いうちから騒がれて、そして潰れてしまう可能性も高かったでしょう。それを敢えて広島を選んだ(もっともサンフからスカウトされた頃はそんなに目立つ選手ではなかったのですが)と言うことは、なかなか考え方がしっかりした選手だ、と言うことでしょう。きっと、日本代表に選ばれるほどの選手になって海外でプレーすると言う夢を、実現できるのではないでしょうか。
<03.1.14> 昨日、広島県サッカー協会の野村尊敬会長とサンフレッチェ後援会の宇田誠会長が、サンフレッチェの織田秀和強化部長(久保社長の代理)を伴って広島県庁に藤田雄山知事と檜山俊宏県議会議長を訪れ、三者の連名で「専用スタジアムに関する要望書」を提出しました。これまで「サッカー専用競技場が欲しい」と言う声は何度か上げられていましたが、こうして正式に行政に対してアクションを起こしたのは初めて。臨場感が段違いでサポートにも力が入る専用スタジアムはサンフレッチェのファン・サポーターの「夢」でしたが、ここでようやく実現に向けての第一歩を踏み出したことになります。
 藤田知事、檜山議長との会談はいずれも友好的な雰囲気の元で進められたそうで、藤田知事は「スタンドの角度も急にしないといけませんね」と具体的な点に踏み込んだコメントをしていたとのこと。また檜山議長とも専用スタジアムについて熱く語ったそうで、野村会長は「理解してもらったと感じている。前向きに検討して頂けると思う」と手ごたえを感じていた模様です。
 Jリーグ開幕当初の10クラブで専用スタジアムをホームにしていたのは鹿島、清水、横浜F、横浜Mの4クラブ。そしてその後Jリーグ人気の爆発でキャパシティの大きなスタジアムの必要性の方が強調されて、横浜や柏など一部には兼用スタジアムの新設、移転を進める流れができました。しかしその後人気が落ち着いたことと磐田、仙台などサッカー専用スタジアムで戦うクラブが増えたことで、逆の流れができてきます。またW杯を契機としてサッカーの認知度が高まる中で、徐々にサッカー専用スタジアムの意義が浸透して来ている、と言えます。現在、J1、J2の28クラブのうち専用スタジアムをホームとしているのは仙台、鹿島、大宮、浦和、柏、横浜FC、清水、福岡の8クラブ。これに加えて今季から神戸が神戸ウィングスタジアムに移り、名古屋も豊田スタジアムを準ホームとします。更に千葉市がサッカー専用スタジアムを建設することを決めてジェフがホームとして使うと見られており、京都市もスタジアムの新設を打ち上げています。せっかく苦労して柏の葉を作ったレイソルもサポーターの反対で完全移転が暗礁に乗り上げるなど、専用スタジアム化は完全に「Jリーグの流れ」になっています。
 言うまでもなく広島は、かつて「サッカー御三家」と言われた伝統の地です。そこに専用スタジアムが無いこと自体が不思議なことなわけで、サンフレッチェのためだけではなく全県民のために必要である、と言う認識が広まればきっと実現することでしょう。今後サッカー協会とサンフレッチェ、後援会は実現に向けて署名活動や募金活動も進めて行くとのこと。我々ファン・サポーターも是非とも協力したいと思います。
<03.1.13> 昨日サンフレッチェと横浜Fマリノスは、久保選手の移籍を発表しました。95年に福岡・筑陽学園高から広島入りした久保は、翌96年にヤンセン監督に抜擢されてトップデビュー。ジャンプの高さとスピードに加えて、独特の柔らかなボールタッチと強烈な左足のシュートを磨いて、2002年シーズンまでに183試合に出場して67得点(リーグ戦のみ)を挙げるなどチームのエースとして活躍してきました。そしてその後トルシエ監督に抜擢されて日本代表にもデビューするなど将来を嘱望されながら順調に育ってきていましたが、昨年W杯直前に代表を外されたのをきっかけに低迷。一時は遠征からも外されるほどのスランプを経験して、昨年は28試合に出場したものの7得点に終っていました。広島フットボールによると久保は「サッカー選手として新たな環境で競争していきたいという思いで移籍することを決めました」と語っていますが、やはりチームがJ2落ちしたこと、それをきっかけにしてあちこちのチームから誘われた事が今回の決断の直接の原因になった模様です。
 高校時代は全く無名の選手だった久保は、プロ入りしてからFWに転向して大きく成長した選手。特に高木やアーノルドなど経験豊富なFWと共にプレーすることで自分の力を伸ばしてきました。しかし自身がチームを代表する選手となり、リーダーとして、また若手のお手本としての役割を期待される立場に立った時、必ずしもその期待には答えられないまま、ここに来てしまったように思います。常に「サッカーが上手になること」を目標として成長してきた久保が、更にもう一枚グレードを上げるためには何が必要か。それがJ2に落ちたチームを引っ張って共に成長することなのか、それともお互いに競争しながら自分を高めて行くのかを考えた時に、前者の道を選ぶことができなかったと言うことが、この決意の直接の理由だったのかも知れません。横浜は多くの代表クラスの選手を抱え、優勝経験もある質の高いチームであることは間違いありません。ただこれまでFWに恵まれず、外国人選手や移籍選手を取っ換え引っ換え起用してきた、と言う歴史を持つチームでもあります。そこを新しいチームとして選んだことが、久保にとって吉と出るか凶と出るか。できれば吉と出て、そして更に大きな選手に成長して欲しいものです。
 ところでこの久保離脱のチームに与える影響ですが、絶対的なエースを失う事は非常に痛手であることは確かです。特に引いて守られることが予想されるJ2では、個人の能力で打開できる選手は是非とも必要です。そう言う意味で、久保が居ると居ないとでは大違いでしょう。ただ、だからと言って久保は絶対に必要な選手か、と言うとそんなことは無いはずです。むしろ活躍するかしないかやってみないと分からない「気ままなエース」が居ない方が、チーム全体のまとまりと言う意味ではプラスになるかも知れません。今のJリーグのクラブにとって、トップクラスの選手はいずれ欧州やよそのクラブに出て行く、というのは自然な流れです。それはJ1に残留したクラブでも例外ではなく、完全優勝した磐田でさえ高原、金沢らを失っています。そう考えると、久保が今回2億5千万円(推定)もの移籍金で売れたと言うことは、チームにとっては決してマイナスではないと思います。問題はこのお金をどう使うか、そして他の選手がいかにその穴を埋めるかです。幸い、残った選手にも豊かな将来性を持つ選手が沢山います。いずれその中から久保を越える選手が出てきて欲しいし、そしてチーム一丸となって1年でJ1に復帰して、そして出て行った選手を見返して欲しいと思います。
<03.1.12> 藤本主税選手の名古屋移籍が決定し、昨日サンフレッチェから発表されました。99年に福岡から広島に移籍した藤本は、その年山口敏弘からトップ下のポジションを奪い、27試合で5得点。その後は毎年コンスタントに試合に出場して、在籍した4年間で32得点(リーグ戦、カップ戦通算)を挙げるなどチームの主力として活躍してきました。特に2001年はヴァレリーの攻撃的な戦術の元で、3トップの一角としてほぼフル出場。9得点を挙げるなど自己最高の活躍で、初めて日本代表にも選ばれるなどチームの「顔」の1人でした。ゴールを決めた後の「阿波踊り」やインタビューなどにも気軽に答える性格、そして自分自身のホームページを開いて生の声をサポーターに伝える等のオープンな性格は独特のもので、そのファンを大切にする姿勢は私自身高く評価していました。
 しかし昨年は戦術にフィットせずに徐々に出場機会を失い、「オランダ移籍騒動」もあって徐々にチームから心が離れて行った、と言う印象があります。広島フットボールによると藤本選手は「チームがJ2に降格し,J1復帰のために広島の力になりたい,サッカー選手として新たな環境でチャレンジしたい,という思いの中で悩んできました。天皇杯での広島の戦いを外から見ることになり,自分としては新たな環境でチャレンジすることがサッカー選手として成長できることだと考えました」とコメントしているように、「移籍」がちらついた直接の原因はJ2降格だったものの、風邪や怪我で出場できなかった天皇杯でのチームの快進撃で、自分自身が居場所を失った印象を持った事がこの決断の原因だったのではないか、と想像できます。
 得意のドリブルと鋭い飛び出し、決定力の高いシュートなど個人で状況を打開する力は今でも一級品だと思いますので、私自身は今季もチームのために頑張って欲しいと思っていました。が、苦しい中でもチームのために100%尽くす事ができないのだとすれば、ここで移籍を選択するのも仕方のない事かも知れません。またチームとしても、藤本のポジションだった1.5列目には有望な若手選手が沢山いるのでここで約1億円と言われる移籍金を確保できたのは悪くない、と言えるでしょう。名古屋ではFWとして起用されるのかMFのポジションを与えられるのかは分かりませんが、いずれにしろ新しいチーム、新しい戦術の元で新しい自分の選手像を作って行かないと生き残るのは難しいでしょう。その明るい性格と適応力で頑張って欲しいし、是非とも「この移籍は成功だった」と言えるような結果を残して欲しいと思います。
 SANFRECCE Diaryトップページに戻る