1/18〜1/24のSANFRECCE Diary


<04.1.24> 昨日の中国新聞によると、サンフレッチェの久保允誉社長を委員長に、元総監督の今西和男氏を事務局長に置く「サッカー専用スタジアム推進プロジェクト」は、その候補地として五日市の埋め立て地を最有力としているそうです。サンフレッチェや県サッカー協会、広島県、広島市など9団体で構成する「プロジェクト」は、サンフレッチェの新たな本拠地として2万人規模のサッカー専用スタジアムの建設の可能性を探ってきましたが、最大のネックとなっているのは場所。スタジアムを建設できるようなまとまった土地は広島市内とその周辺に何カ所かありますが、それらの多くは所有者と使用目的等の関係で難しい問題があり、これまでも広島スタジアムの改修案や千田町の広大跡地の利用、あるいはカープ移転後の市民球場跡などいくつかの案が浮上しては消える、と言う事を繰り返してきました。
 そんな中で現在最有力候補として浮上して来ているのは、佐伯区五日市の県の産業廃棄物埋め立て地。商工センターと五日市港の間の沖合いに展開しているこの場所はJR山陽線と広電の五日市駅から1km程度の場所にあり、また2号線のバイパスの役割を果たす広島南道路が貫いていて交通の便は最高に近いものがあります。所有者の広島県も土地の提供に前向きだそうで、「プロ球団である以上、集客力に結びつく専用スタジアムは必須だと思う。県単体でやるのは難しいが、具体的な枠組みが出来れば県も支援できる」(藤田広島県知事)「そう言う具体的な動きになれば、県とも協力して応援したい」(秋葉広島市長)と首長も前向きな発言をしているそうですが、ただ問題は、それぞれの自治体は財政事情から県営や市営のスタジアムの建設は無理だと明言していることです。久保社長は広島の財界とも協力して民間主導でのスタジアム建設も念頭に置いているようですが、仮にそれで資金調達(百億円は要るらしい)が出来たとしても、今度は公共の土地に営利目的の施設を作ることが良いことなのかどうか、その是非が問われる可能性もあります。県や市が動くかどうかは県民、市民の理解が得られるかどうかで決まるわけですから、これが実現するかどうかはクラブとサポーターがどれだけ雰囲気を盛り上げる事ができるか、にかかっているように思います。
 なお、この土地は現在も産業廃棄物を埋め立て中で、着工は早くて2010年前後になるとのこと。昨年出てきた広域公園第一球技場の改修案と合わせて、「両面作戦」でサッカー専用スタジアム建設を目指すことになりそうです。
<04.1.23> プレスリリースによると、来週月曜日から中国電力坂スポーツ施設(JR呉線坂駅から300mほどらしい)で行われる合同自主トレはいずれも10時半スタートで、1/26,27,29,30の4日間行われる、とのことです。
<04.1.22> サンフレッチェは昨日、松下裕樹選手の福岡への期限付き移籍が決まった、と発表しました。2000年に前橋育英高から広島入りした松下は、正確なロングパスと強烈なFKが持ち味のボランチとして期待されていました。ルーキーイヤーは2試合、2年目は1試合の出場にとどまっていましたが、2002年には木村監督のもとで13試合に出場するなどポジション獲得は間近か、と思われました。ただ、弱点は運動量とボールに絡む機会の少なさ。そのためかどうかは微妙ですが、02年は先発した10試合で1勝しかできずに終ります。そして昨年は小野サッカーの中ではなかなかチャンスをつかめず、李や高萩にも先を越されて27節の福岡戦まではベンチ入りすらできない日々が続いていました。しかしチームが崖っぷちに追い込まれた31節の札幌戦。久々にトップに合流した松下がいきなり右WBで起用されると、ここから7連勝がスタートします。その中で松下は42節の山形戦まで先発出場を続け、正確なキックを生かした右からのゲームメイクで終盤の昇格に向けての戦いを支えました。とは言え、松下の本来のポジションはやはりボランチ。サイドのプレーヤーとしてJ1で通用するかと言うと不安があるのは確かで、実際に天皇杯の横浜FM戦ではドゥトラ相手にかなり苦しんでいます。かと言ってボランチではどうか、と言うとそれも問題で、現状では森崎和、サンパイオ、外池、李、高萩とのポジション争いは厳しいものとならざるをえないでしょう。レンタル先の福岡にはベテラン篠田と成長著しい米田がいますが、原田を放出したため層が薄いのは確かで出場のチャンスは確実に増えるはず。弱点の「ボールに絡む機会の少なさ」は経験を積めば克服できることなので、何とか福岡でポジションを取って、そして大きく成長して戻ってきて欲しいと思います。
<04.1.21> 広島フットボールによると、広島を戦力外になっていたGKの尾崎勇史選手が引退する事が決まりました。Jリーグ開幕前の1987年からヤマハ(現磐田)でプレーした尾崎は、森下やディド、大神らとポジション争いをしながらジュビロのゴールを守り、99年にはチームをアジアチャンピオンに導く活躍をしました。更にその年には清水とのチャンピオンシップに出場してPK戦で大活躍して優勝に貢献するなど、磐田の黄金期を築いた選手の1人だった、と言って良いでしょう。その後ヴァン・ズワムの加入によりポジションを失って、福岡を経て2002年に広島入り。下田が退場した1st stageの鹿島戦と次の浦和戦に出場するなど貴重なバックアッププレーヤーとしてチームを支えました。その後第2GKの座を林に奪われてサテライトにも出れないようになってしまいましたが、それでも腐らずに練習に取り組む姿は「プロの鏡」として若手選手のお手本となっていたと言ってよいでしょう。彼の第二の人生がどうなるのかは分かりませんが、どんな状況ででも全力を尽くす彼ならばきっと成功できるはず。頑張って欲しい、と思います。
<04.1.20> 今朝の日刊スポーツによると、昨日からU-23代表候補合宿に合流予定だった森崎兄弟と林は、JAS機のエンジン不良による欠航の余波で宮崎入りが遅れて別メニューとなったそうです。また、同じく日刊スポーツ(九州版)の記事によると、広島でゼロ査定を受けた山形はアビスパ福岡に練習生として参加しているとのこと。「知っている選手が多いので、やりやすい。スピードとドリブル突破でアピールして、地元・福岡の力になれるように頑張りたい」と練習に意欲的に取り組んでいるとのことです。
<04.1.19> U-23代表候補の松井が昨日、京都と仮契約を結びチーム残留が確定しました。昨年はリーグ戦で2ゴール(だったはず)に終わり京都降格の「戦犯」とも言われていた松井は、噂によると一時は移籍に心が傾いていたそうです。しかし両親など周囲の説得と、五輪優先と海外移籍を容認すると言う京都のオファーを受けて残留を決断した模様です。
 チーム改革を進めるサンフレッチェは昨年から秋田、中西、崔ら代表経験のある選手に次々と移籍を打診していて、松井へのオファーもその一環。トゥーロン国際でU-21代表に抜擢したことのある小野監督の意向で、獲得に動いていたとの観測が流れていました。今後サンフが森崎兄弟を中心とするチーム作りを進める上で必要だと判断してのオファーだったと思われますが、しかし仮に獲得できたとしても心が代表や海外移籍に向いていると言うのでは、チームのためにはならなかったでしょう。松井のポジションである1.5列目には茂木がいますし、高木も西村も高い可能性を持つ選手です。小野監督にはここは心を決めて、ぜひ彼らを松井以上の選手に育てて欲しいと思います。
<04.1.18> 先日の小村の獲得発表で、このオフのサンフレッチェの補強はほぼ終了という感じになりました。今年は11人が移籍・退団する一方で、移籍加入と新人がそれぞれ4人ずつと、近年にない「リストラ」が行われたような印象があります。特に上村、桑原、高橋らこれまでのチームを支えてきた生え抜き選手を放出したこと、その代わりとして獲得した選手のほとんどが他のチームを戦力外となったベテランであったことから、いささか心配が募ります。特に上村が退団の会見で「経験のある選手がこれだけいなくなるということは、チームにとってプラスとは思えない。『大丈夫だろうか』という気持ちはある」(中国新聞より)と語っているだけに、チーム作りが失敗しているのではないだろうか、と心配になっている人も多いのではないでしょうか。
 では、今年が特殊なケースなのかどうかを考えるために、これまでの歴史を振り返ってみたいと思います。以下にまとめたのは、96年以降(それ以前の資料が見つからなかったため)の選手の出入りの一覧表です。トゥーリオ以外の外国人と、シーズン途中での移籍は除いています。

移籍・退団

移籍加入

新加入

1996

風間、森山佳、西田、島、横内、若松、三浦

吉田康、内藤

服部、金本、影山、高田

1997

河野、内藤、佐藤康、吉村、大西、水田、高田、玉田、萩野

伊藤

川島、安武、荒木、若井、廣池、松岡、岩村

1998

高木琢、森保、路木、安部、影山、上田、荒木、若井

宮沢、古賀、皆本

池端、大久保誠、石川、植田、大畑、行友、秋元

1999

柳本、山根、金本、笛、小島、皆本、安武、山口哲、廣池

森保、藤本、沢田、佐藤浩、菊地

高橋泰、宮崎、池田、吉田幸

2000

吉田康、前川、森山泰、大木、池端、行友、松永、松岡、大畑、池田、山下、秋元

加藤竜、上野優、栗原

森崎和、森崎浩、駒野、松下、中山、八田、山形

2001

伊藤、上野優、古賀、山口敏、栗原、大久保誠、佐藤浩、植田、石川

奥野、大木

林、李、河野、トゥーリオ、梅田、西嶋、寺内

2002

森保、奥野、宮崎、吉田幸、寺内

中村、尾崎、井手口、鳴尾

茂木、西村、須田、佐田

2003

久保、藤本、トゥーリオ、川島、中村、井手口、鳴尾

松浦、高木和、大久保裕、田中俊、河原、木村

2004

上村、高橋泰、沢田、桑原、梅田、尾崎、山形、西嶋、須田、佐田

佐藤一、外池、吉田恵、小村

高萩、青山、吉弘、田村

 こうして見ると11人が退団する、と言うのは確かに多い方なのですが、しかし特別に多いわけではない、と言うことが分かります。ここまでで最も多くチームを離れたのは2000年の12人。それ以外の年でも7〜8人はコンスタントに引退、あるいは移籍の道を歩んでいます。また主力選手の移籍、と言う意味では、これまで最も多かったのはクラブが経営危機に見舞われた98年で、元代表の高木、森保、路木を放出しています。更にその翌年は柳本と期待の若手だった山根を移籍させ、2000年には前川、森山、吉田のベテラン選手を手放し、01年にもレギュラーとして活躍していた伊藤を失っています。それぞれの選手にはそれぞれ移籍の事情があるので一概には言えないのですが、少なくとも今年が特別ではない、と言うことだけは分かるのではないでしょうか。
 では、移籍で獲得した選手についてはどうかと言うと、これも今まではほとんどの場合他チームで戦力外、あるいは出場機会に恵まれなかった選手ばかりでした。前年にレギュラーだった選手と言えば、99年の森保、藤本、沢田ぐらいのもの。それに対して今年は、と言うと昨年43試合出場の外池と20試合出場の小村を獲得できたわけで、これまでと比較して物足りないどころか、むしろこれまでにない補強が出来た、と言っても言い過ぎではないと思います。
 かつては移籍選手で何とかやりくりしていたサンフレッチェでしたが、ここ数年は明らかに「若手育成型」になっていて、今後チームが強くなれるかどうかはそれがうまく行くかどうか、にかかっています。期待の大きかった2000年組(いわゆる「スーパーセブン」)でさえトップに定着してきたのは一昨年から昨年にかけてですから、それ以降の選手が戦力になるには更に時間がかかるでしょう。それまでの繋ぎ、あるいは教師役として、今年入って来た選手はチームにとっての良い刺激になるのではないでしょうか。
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