1/1〜1/8のSANFRECCE Diary


<11.1.8> サンフレッチェは内田健太選手の愛媛へのレンタル延長を発表しました。2009年のシーズン途中から愛媛にレンタルされていた内田は、昨年のシーズン序盤はベンチスタートが多くあまり出場機会をつかむ事ができませんでした。しかし第13節に福田と交代で起用されるとその後はFWとしてプレー。終盤にはレギュラーを確保して4ゴールを決めるなど活躍しています。サンフレッチェとしてはサイドバックとして育てて欲しいような気はしますが、どこのポジションであろうと試合に出て成長することが重要でしょう。内田選手の今季に期待したいと思います。
<11.1.7> サンフレッチェは昨日、岡本知剛選手のサガン鳥栖へのレンタル移籍を発表しました。サンフレッチェびんごジュニアユースからユースを経て高校3年生でトップ昇格した岡本は、U-15から各年代で代表に選ばれ2008年にはAFC U-19選手権にも出場しました。そしてその年の最終戦でリーグ戦初出場。翌年も5月ごろからベンチ入りするなど成長が期待されました。しかし2009年は結局まともにプレーしたのはナビスコ杯と天皇杯だけで、リーグ戦はわずか9分間の出場に終わります。更に昨年もベンチ入りは12試合あったもののリーグ戦出場はなく、ACL浦項戦で69分間、天皇杯島根戦で45分間プレーしただけに終わりました。「紫熊倶楽部」12月号によると練習では良いパフォーマンスを見せても試合では出せない、と言うのが続いているとのこと。本来は力のある選手なだけに、まずは鳥栖でレギュラーを取って試合経験を積んで、成長して戻ってきて欲しいと思います。
<11.1.6> サンフレッチェは昨日、京都のDF水本裕貴選手の完全移籍での獲得を発表しました。中国新聞によると2年契約で年俸3,200万円で、「チームの勝利に貢献できるように、精一杯頑張ります。温かいご声援をよろしくお願いします」と言うコメントを発表しています。
 三重高校から2004年に市原入りした水本は、吉弘や前田(いずれも当時広島)、西川らとともに2005年のワールドユースに出場し、レギュラーとして活躍しました。そしてチームではオシム監督のもとで2006年からポジションを確保。そしてそのプレーが評価されて日本代表にも選ばれ、2008年にG大阪に移籍しました。しかしG大阪での先発出場は2試合にとどまりシーズン途中で京都に移籍。京都ではDFリーダーとしてプレーしていたもののチームの降格を防ぐことができず、代表からも呼ばれなくなってしまいました。千葉から出たことが必ずしも成長に繋がらなかった感じの水本ですが、オシム監督と同様のサッカーの広島でなら輝けるはず。期待したいと思います。
<11.1.5> 年末に出た「Assist」の2010 winter号を紹介します。最初の特集は「激闘の2010シーズン回顧録」で、対談が2つ。まずは佐藤寿人選手とスタジアムDJの石橋竜史さんが「初モノづくしの1年」を振り返っています。続く対談は高萩選手と李選手。北京五輪予選の頃の出会いから普段のつき合い等の話から昨シーズンの戦いについて語っています。また西川選手は「2010ベストマッチ&ベストゴール」と言うタイトルで、印象に残ったゲームとゴールを振り返るとともにパフォーマンスやサポーターへのメッセージなどを話しています。また「選手・サポーターが選んだ2010ベストマッチ&ベストゴール」も掲載されています。
 各選手からのメッセージ一覧、読者プレゼント(〆切は1/31)を挟んで、シーズンイヤーDVDの制作レポートと李、森脇、槙野によるパフォーマンス解説を掲載。マツダとのタイアップ記事で登場しているのは山岸選手です。また「横川をぶらり」では丸谷、原両選手が「洋食屋 MULBERRY」を紹介しています。「SANFRECCE Player's Legend」では先日引退した下田崇選手を、「あの頃、僕は」では中島浩司選手を取り上げています。紫熊倶楽部の中野編集長による「アウェイ見聞録」は大阪編。そして最終ページの巻末アンカーコラムでは、1月で退任される三矢寮の稲田寮長、寮母のお2人を紹介しています。
 サンフレッチェアシストマガジン[アシスト]は定価350円。なぜかe-VPOINTでは見つからないのですが、たぶんV-POINTでは販売中です。
<11.1.4> ちょっと古いニュースなのですが、12/31付けのスポニチによると「広島へと期限付き移籍しているFW山崎は完全移籍...が濃厚」だとのことです。また水本とは既に合意済みらしいので、今日にでも正式発表があるのではないでしょうか。
<11.1.3> 今年の天皇杯は鹿島と清水の対戦となりましたが、鹿島が「タイトル取り」の巧さを見せて優勝を飾りました。試合は全体的にミスが多かったように思いましたが、その中でも落ち着いてゲームを進めていたのが鹿島。特に「切り札」本山の投入が当たって、最後まで相手にペースを渡すことなく押し切りました。逆に清水は中盤に揃えた技術の高い選手の力をうまく使えなかった、と言う感じ。ヨンセンがいれば放り込みたくなる気持ちは分かりますが、それでももっと落ち着いてボールを回しても良かったのではないかと思います。試合後にオリヴェイラ監督は「まず我々が集中できる環境を作ってくれるクラブ」だ、と鹿島について語っていたのに対して、長谷川監督は「現場とフロントがいろんな意味で一体になって戦わないとタイトルは取れない」と述べています。リーグ戦が終わって1カ月が過ぎ、各クラブが来季に向けて着々と進んでいる中で行われる天皇杯。しかも変則日程の中でチームを1つにまとめ、勝利に向かって突き進むことのできるところだけが優勝カップを掲げることができると言うことを、鹿島とオリヴェイラ監督が示した、と言えます。来季こそはタイトルを取る事を目標にするサンフレッチェとしては、おおいに学ばなければならないと思います。
 ところで今回の天皇杯は、いつも以上におかしな進め方でした。1回戦は9/3(金)で、ここを勝ったチームは中1日でJリーグクラブとの対戦を強いられました。しかもそのほとんどがJリーグクラブのホームでの戦いで、都道府県代表とJFL勢はほとんど全てがここで消えてしまいました。(因みに勝ち抜いたのは、対戦相手の関係で地元で戦えたソニー仙台と町田ゼルビアだけ。)また3回戦はリーグ戦が休みの週末だったので日程的には楽でしたが、試合会場はほとんどがJ1クラブのホーム。意地を見せたのはJ2で上位を争っていた柏、千葉、福岡だけでした。更に4回戦はリーグ戦が佳境に入ってきたところで行われたと言うことで、いくつかのチームは「ベストメンバー規定」を無視して戦いました。(そして、結局それに対するお咎めはなかった。)その他にも準々決勝がリーグ最終戦の3週間後だったこと、鹿島がカシマスタジアムと国立競技場でだけ戦えたことなど、公平性を無視した会場配分だったこと等の問題もありました。今季はW杯のために日程が厳しく、Jリーグを優先したための措置だったと言う「言い訳」はあるでしょうが、しかし歴史と伝統のある大会を日本サッカー協会自体が蔑ろにしている、としか思えない運営だったと言えます。以前にも書いたことがあるのですが、ドイツの同様のオープントーナメントであるDFB-Pokalでは、下位リーグと上位リーグのチームが対戦する時には下位リーグのホームで行うのが原則になっています。それによって下位のチームが有利になるというだけでなく、上位のリーグのクラブが普段行かないところで試合をすることで、その地域のサッカーを盛り上げる役割も果たすことになるのです。2回戦からJ1クラブが出てくる是非やベストメンバー規定の問題も含めて、天皇杯の改革は必須なのではないでしょうか?
<11.1.2> ドイツを経由してカタールに向かう槙野選手が、昨日約500人のサポーターに見送られて広島駅を出発しました。携帯サイトによると、槙野は改札を抜けた後まずテレビの取材を受け、続いてサポーターに向けて大きな声を張り上げて挨拶。それが終わると大きな拍手とともに槙野のチャントが鳴り響いたそうです。そして歌が一段落するとサポーターと記念撮影を行い、新幹線のホームに向かうと再びチャントと「広島の槙野、世界のMAKINO」の横断幕に迎えられました。槙野はこの間、ずっと笑顔を絶やさなかったそうですが、のぞみ号に乗り込んだあと表情が真っ赤になり、涙をぬぐっていたとのこと。「森脇くんの応援歌を作って下さい」「ドイツから戻ったら、ビッグアーチに応援に行きます」と言う言葉とともに、ドイツに向けて旅立ちました。
<11.1.1> 明けましておめでとうございます。2度目のJ2降格を喫した2007年、J2を駆け抜けた2008年、4位に躍進した2009年、そして過密日程と怪我人続出の中でしっかりと結果を残した2010年。ACL出場とナビスコカップ準優勝を経験した我々にとって、残った目標はタイトルだけだと言えます。今年はリーグ戦はもちろんのこと、あと数十秒で戴冠を逃したナビスコカップ、そしてこれまでサンフレッチェとしては4度準優勝に終わっている天皇杯と、可能性のあるタイトルは全て取りに行くつもりで戦うべきでしょう。戦術は熟成され、怪我さえなければ質の高い選手を揃えることができるようになりましたが、問題はポジションに「穴」が空いた時。昨年、横竹と丸谷が成長し、李が大ブレイクしたように、今年も次々と若手選手が育ってくることが、目標達成の最も重要なポイントになるのではないでしょうか?今年もサンフレッチェとともに、「夢」を追いかけて行きたいと思います。
<11.1.1> サンフレッチェは昨日、槙野智章選手の1.FCケルンへの完全移籍を発表し、記者会見を行いました。サンフレッチェのジュニアユース、ユースから2006年にトップ昇格した槙野は、2年目の2007年からポジションを確保。今季はリーグ戦全試合に出場しただけでなく警告・退場ゼロを貫き、ベストイレブンとフェアプレー個人賞に輝きました。またW杯出場は逃したものの日本代表にも定着しつつあり、広島の「顔」とも言える選手に成長しました。更に勝ちゲーム後の「サンフレ劇場」やメンバー全員を巻き込んだパフォーマンスなどで話題作りにも励み、クラブ全体の雰囲気を変えると言う意味で非常に貢献度の高い選手でした。
 記者会見によると、海外移籍はサッカーを始めてからの夢だったとのこと。そして、南アフリカW杯のピッチに立てなかったことから4年後に向けて何をすべきかを考えて、自分を成長させるために移籍を決断したのだそうです。DFが言葉の壁を乗り越えてチームに馴染むことは難しい上に、シーズン途中からの加入。しかもアジアカップのためウィンターブレイク中には合流できない、と言う色々な困難のある今回の移籍ですが、常に目標を高く掲げ「有言実行」してきた槙野ならば、必ずや「夢」を実現するのではないでしょうか?
 なお槙野は記者会見で、繰り返し広島と言う土地とクラブ、チームメイト、そしてサポーターへの感謝の言葉を述べています。彼の移籍、しかも移籍金を残さなかったことはチームにとって大きな痛手ですが、しかし彼をここまで育て、一番良い時に海外に送り出すことができたと言うことはクラブの「ステイタス」を上げることに繋がります。この穴は、彼に続く選手を育てて埋めるのが「育成クラブ」としてのサンフレッチェの宿命です。そして槙野にはこのチャンスを生かして大きく成長して、いずれはまた広島に戻ってきて欲しいと思います。
SANFRECCE Diaryトップページに戻る