5/24〜5/30のSANFRECCE Diary


<20.5.30> Jリーグは昨日オンラインで臨時の実行委員会を開き、J1は7/4、J2とJ3は6/27に再開することになりました。そして当初は無観客で実施するものの、7/10頃からは観客を段階的に受け入れることになるとのこと。政府の基本対処方針に従って、7月中は入場数上限を5,000人か収容人数の50%以内とし、8月以降は人数制限なしの50%以内となります。対戦カードは6/15に発表予定ですが、長距離移動による感染リスクを考えて7月中は東西2ブロック制で試合を組み、感染の状況を見ながら適宜組み換える予定だとのことです。
 なおルヴァンカップについては松本を除く15チームを5ブロックに組み直し、3チームずつで1次リーグをやり直す案が議論されていましたが、既に消化した1試合を無効とすることに反対が多かったとのこと。また8月以降は移動制限も緩和される見通しであることから、1次リーグは1回戦総当たり、準々決勝からは1試合ずつの簡略案で実施される可能性が高まってきた、とのことです。
<20.5.29> サンフレッチェは昨日、オフィシャルホームページに「広島サッカーの歴史」のページを公開しました。このページは広島県サッカー協会が2010年に発行した「栄光の足跡 広島サッカー85年史」の内容を要約・抜粋して作製したもの。1902年設置の広島高等師範学校に作られた蹴球部に始まり、県立広島中学(現国泰寺高校)で1911年から本格的に普及した創世期。原爆の災禍を乗り越え、早くも終戦の2年後には広島高師付中と広島高が全国制覇したところから始まった学生サッカーの隆盛期。そして1965年から1977年には東洋工業が日本リーグを4連覇し、「広島7人衆」がメキシコ五輪の銅メダルに貢献するなど黄金時代を築きました。その後は学生、社会人ともに停滞期があったものの、Jリーグ開幕に合わせてサンフレッチェ広島が誕生し、広島サッカーの伝統を受け継ぐことになりました。今のサンフレッチェの「源流」となる広島サッカーの歴史を、ぜひ多くのファン・サポーターに知って欲しいと思います。
<20.5.28> 今週月曜日から全体練習を再開したサンフレッチェですが、中国新聞によると距離をとって水分補給したり、トレーニングルームでは手袋を着用する、ロッカーは3部屋に分けて顔を向き合わないようにするなど、感染防止を徹底しながら練習を続けているそうです。サンフレッチェのオフィシャルYouTubeのsanfreccechannelには5/25と5/26のトレーニング映像がアップされていますので、選手の様子をぜひご覧ください。
<20.5.27> 報道によると、JリーグはJ1を地域ごとのブロックに分けて再開日程を編成する案を検討していることが分かりました。ブロックは「札幌、仙台、鹿島、浦和、柏、FC東京」「川崎F、横浜FM、横浜FC、湘南、清水、名古屋」「G大阪、C大阪、神戸、広島、鳥栖、大分」の3ブロックで、再開後当面はそのブロック内で試合を組んで行くとのことです。また、プロスポーツでは7/10から入場数の上限を5,000人、8月以降は収容50%以内で人数制限も無くなると言う緩和の目安を受けて、無観客試合は2試合程度としてその後は観客を入れる可能性を検討するとのことです。
<20.5.26> 昨日、首都圏と北海道の緊急事態宣言が解除されたことを受けて、Jリーグの村井チェアマンが広報を通じてコメントを発表し、「明るい兆しが見えてきたことを嬉しく思う一方、決して気を緩めることなく、国民の皆様の健康を第一にした安全な再開に向けて、より一層努めて行く」と語りました。スポニチの記事によると全体練習の再開が6月にずれ込むクラブがあることや、試合までの調整期間として4〜5週間を設ける方針であることから、7/4の再開の可能性が最有力とのこと。当面は無観客で、移動のリスクを小さくするため近隣のチーム同士の対戦から始める見通しだとのことです。
<20.5.25> 中国新聞によると、サンフレッチェはクラブ過去最高の売上高40億円の実現に向けたテコ入れを始めているそうです。クラブの収入減は入場料、スポンサー、グッズ開発が3本柱ですが、公式戦が再開されても当面は無観客で行われる事を考えるとスポンサー収入とグッズ販売をアップさせなければなりません。クラブでは既に1〜2月に新規スポンサーの掘り起こしに成功し、前年比5%増を達成しているとのこと。次の手として商品開発のスピードと品数の少なさを課題と位置づけて、グッズ開発の見直し作業を進めているそうです。先週末にはオリジナルマスク(抗菌タイプ1,000枚、リバーシブルタイプ大人用2,000枚、子供用500枚)を発売しましたがあっという間に完売したことから見ても、サポーターのニーズに合った商品をタイムリーに供給することが大切なのは確か。サンフレッチェもコロナ禍の中での「新しい生活様式」にいかに対応して行くかが、重要になるのかも知れません。
<20.5.24> フットボールチャンネルには「サンフレッチェ広島、歴代最強外国籍選手5人」と言う記事も出ています。取り上げられているのは、イワン・ハシェック、盧廷潤、トニー・ポポヴィッチ、イリアン・ストヤノフ、ミハエル・ミキッチの5人。いずれもサンフレッチェの歴史に名を残した名選手ばかりで、彼らを選んだことには全く問題ないと思います。ただ、これ以外にもサンフレッチェの歴史と記憶に残る名選手は多かったので、せっかくなので外国籍選手のベストイレブンを選んでみましょう。
 まず2トップはウェズレイとパトリック。ウェズレイは2006年と2007年、パトリックは2017年途中から2019年の途中までとそれぞれ2年間しか在籍していませんが、ウェズレイはリーグ戦56試合で33ゴール、パトリックは61試合で27ゴールと、ゴールを量産しました。ゴールを量産した、と言う意味ではウタカも33試合で19ゴール、ドウグラスも33試合で21ゴールを挙げていますが、いずれも1年しかいなかったので次点、と言うところ。ドウグラス・ヴィエイラとレアンドロ・ペレイラも、今後この中に割って入る可能性はありそうです。
 続いてトップ下はハシェックと盧廷潤としておきますが、ハシェックはFWで起用されることが多く、盧廷潤はウィングのイメージだったので、いわゆる「司令塔」タイプでは2000年から2年間在籍したスティーブ・コリカも捨てがたいところ。2001年にはヴァレリー監督の下で22試合に出場して11ゴールと活躍しましたが、翌年ガジエフに代わったおかげで契約更新がならなかったのは残念でした。
 ボランチは、何と言っても広島がJ2で戦った2003年に来てくれたセザール・サンパイオ。J1昇格を目指して戦う中で「J1昇格、それは神様の後押しによって」とプリントされたTシャツを選手に配り、6試合連続未勝利のトンネルに入ったチームを勇気づけました。
 両WBは右はミキッチ、左はピーター・ハウストラ。9年にも渡って「広島の右の翼」として君臨したミキッチは当然のこととして、貴公子然とした風貌と左足からの正確なクロスが持ち味だったハウストラも忘れられない選手です。
 DFラインの選手も多士済々で候補者は多いのですが、誰が選んでもストヤノフとポポヴィッチは外せないでしょう。2007年シーズンの途中に広島入りしたストヤノフは3年半で85試合、1997年から広島でプレーしたポポヴィッチは5年間で87試合に出場して、最終ラインからチームを支えました。ただもう一人、となると少々難しいところで、2003年にプレーしてJ1昇格に貢献したリカルド、1998年のシーズン途中から2年間在籍したハイデン・フォックス、2005年から2年間在籍したジニーニョのうち誰か、と言うところか。個人的には「やんちゃ坊主」と言う感じだったフォックスの印象が強いので、彼をベストイレブンに挙げておきます。
 最後にGKですが、サンフレッチェになってからGKとして登録された外国籍選手はいません。仕方がないのでマツダ時代にプレーしてその後日本代表コーチなどを務めたディド・ハーフナーにしようかとも思ったのですが、ここはウラワザでオーレリオ・ヴィドマーを選びます。彼のポジションはもちろんFWなのですが、1999年4月14日に行われたナビスコカップの仙台戦では交代枠を使い切った後にGK前川が退場になったことから、急きょGKのポジションに入って好セーブも見せています。リーグ戦24試合出場で6ゴールとやや期待外れだったヴィドマーでしたが、最大の見せ場を作ったのがこの試合だった、と言って良いかも知れません。
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