5/3〜5/9のSANFRECCE Diary


<20.5.9> Kリーグは昨日、2ヶ月あまりの中断を経て全北×水原戦で再開しました。Kリーグでは選手・監督ら関係者全員がウイルス検査を受けて陰性が確認されたそうで、再開にこぎ着くことができたとのこと。まだ無観客で、しかも今季のリーグ戦は従来の1チーム38試合から27試合に縮小されるそうですが、新型コロナウイルス禍からいかに普段の生活を取り戻すか、と言う点で重要な一歩を踏み出したことになります。
 因みに韓国は3/1時点で1日の感染判明者が1,000人を越えましたが、その後PCR検査の徹底と政府の主導による感染者の隔離によって封じ込めに成功し、4月後半以降の感染者は1日10人以下で推移しています。日本が隣国の成功から学ぶことができるかどうか。それが日本とJリーグが「日常」を取り戻すための道なのではないでしょうか。
<20.5.8> kicker日本語版の記事によると一昨日、ドイツのメルケル首相と各州知事が会談して、無観客試合を条件にブンデスリーガの1部、2部を5月後半から再開する許可を下しました。ドイツ・ブンデスリーガでは1部、2部の全選手とスタッフに対するPCR検査を実施しており、感染者は10人にとどまっていたとのこと。試合は当面無観客で行うことが条件ですが、ドイツサッカーリーグ機構の代表は「無観客試合は決して良い答えとは言えないが、ただ存続の危機に瀕するクラブがある中で、既存のリーガを継続していくための唯一の方法だ」と語っていたそうです。
 ヨーロッパでは新型コロナウイルス感染が拡大した3月以降試合をリーグ戦を中断していて、ベルギーとオランダはリーグ戦の中止を決定していますが、その他のリーグでは再開に向けて模索しているとのこと。フランスサッカーリーグ機構は6月中旬の再開を目指しており、オーストリアは無観客試合の具体案に各クラブが同意してスポーツ省からの許可を待っているところだそうです。スポーツイベントは社会的な影響が大きいため行政とのコミュニケーションが重要ですが、政府と協調しながら再開への道を探っているのはさすがヨーロッパ、と言う感じなのではないでしょうか。
<20.5.7> プレスリリースによると、サンフレッチェは5/6までとしていたトップチームの活動中止期間を「当面の間」に延長する、と発表しました。これは政府から発令された緊急事態宣言が延長されたことによるもので、活動再開については「状況を考慮しながら対応を協議し、決定次第、あらためてご案内する」とのことです。
 数日前の報道によると、Jリーグの各クラブの関係者からは来月からの公式戦の再開が難しくなったとの声が上がっているとのこと。緊急事態宣言の延長により各クラブの本格的な練習再開は来月以降にずれ込む見通しで、Jリーグとしても判断の難しい局面となっています。一方で報道によると、ドイツ・ブンデスリーガは連邦政府と各州政府が5/15からの試合再開を許可することに同意した、とのこと。新型コロナウイルス対策については各国政府の対応の違いが鮮明になっていますが、サッカーについても同様のことが言えそうです。
<20.5.6> Web Sportivaに「2度の大ケガで苦しんだ本音を吐露。広島・佐々木翔はどう逆境をバネにしたか」と言う記事が出ています。「最近はほとんど家にいる」と言う佐々木ですが、クラブや周囲に対して「何かできることはないか」と考えていたところから、ジュニアの子供たちとZOOMで話をする機会を作ったそうです。2016年と2017年に続けざまに膝の前十字靭帯を断裂した佐々木は、その時の苦しい経験を乗り越えたからこそ「無駄な時間だった」と言いきることができるとのこと。「自分を見失わずにやれることをやりながら耐えられたからこそ、今につながっている」と言う経験を生かすことが、今一番大事なことなのかも知れません。
<20.5.4> 見逃していたのですが、1週間前の日刊スポーツに「森保監督右腕・横内昭展コーチに見た名脇役のすごみ」と言う記事が載っていたので紹介します。森保監督より学年が1つ上の横内コーチはマツダ時代から先輩後輩の間柄でしたが、現役時代から尊敬する選手として森保氏を挙げていたとのこと。練習が終わってからも森保氏の自宅でビデオを見ながら互いのサッカー観を語り合っていたそうで、30年近くに渡ってお互いに信頼しあう関係なのだそうです。東京五輪もW杯アジア予選も延期され、今後はより厳しい日程の中でチーム作りをしなければならなくなりそうですが、横内コーチは「鉄の意志で森保ジャパンを支える覚悟でいることに間違いない」とのことです。
<20.5.3> REALSPORTSに「ミシャ式、誕生秘話。『彼らが万全なら結果は違った』広島が誇る類い稀な"2人の存在"」と言う記事が昨日掲載されました。これは紫熊倶楽部の中野和也編集長によるコラムで、1週間ほど前に掲載された「ミシャ来日の知られざる情熱と決断 『オシムの腹心』はなぜ広島で“奇跡”を起こせたのか」に続くものとなっています。サンフレッチェがJ2に降格した2007年、当時の久保允誉社長の「ミシャと一緒にやっていく」と言う決断の経緯から、翌年のJ2での戦いの中でどのように「ミシャ式」と言われる可変システムが生まれたか、が書かれています。森崎和幸選手の引退に際してつぶやいたと言う「もしカズと浩司が万全であれば、特に2009年と2010年は違った結果になっただろう。でも、それが監督としての自分の宿命だったんだね」と言う言葉を引用しながら、ペトロヴィッチ監督の下でのサンフレッチェの時代を振り返っています。サンフレッチェの古くからのサポーターにとっては良く知られている話ではありますが、stay homeの期間中にぜひお読みください。
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